「生きていて何が悪いのですか?」

そんなことを考えさせられるような、シンポジウムに参加しました。
劣等処遇・弱肉強食・自己責任…。
資本主義社会のなかでは、生産労働ができない人間は、常に「劣等」であり、、「弱者」であります。
自己責任で語られる今の世の中では、少しでも行き方が下手な人々は
自分らしく生きていく隙間すらありません。
そして「上手く生きられなければ、死ぬしかない!」という社会が
今のこの国です。
憲法は人権=普通に生きていること、普通に1つところに住んでいること、体調が悪くなれば、当たり前に病院に行けるということ、「保育に欠ける」要件があるから、保育園が公的責任で存在するということ、労働者が労働条件を守るために団結して戦う事を守っているということ…などをずっと守って行くためのもの…。
それらが今、あまりにも、ないがしろにされています。
命の重さを守るために、なにが大切なのかを、真剣にに考えさせられる半日となりました。
シンポジスの皆さんの写真を送ってみます。

「福祉が2度も人を殺した、僕は、ショックで怒りに震えた」
今最も攻撃を受けている生活保護の問題も、多くの資料を使って語られました。
話を伺いながら、ついと、涙が出てしまって・・・
同じ怒りの涙だと感じながら・・・(その話をしてくださった先生が私の母校の教授だということが、嬉しかった・・・残念ながら、私は大昔に卒業していますが・・・)

いのちの重さは、何があっても絶対に平等に守られるべきだと思います。
一律1割負担が、一律10パーセントの消費税が
決して、平等なのではありません。
少し算数が出来れば、誰でもわかる「逆心性」がそこにあります。
「必要なときに、必要なだけ、能力に応じて」その人の権利を守るために
提供されるものが「平等ないのちを守るために」あるべき社会保障の姿であると
私は、しっかりと、そう思っています。